野生犬と人類との結びつき

現今の犬の直接の祖先である前・中・後期氷河時代のヨーロッパの野生犬は、今から約200万年以上も昔、狩猟する原始人の群れを追って移動していたのですが、まもなく原始人たちの食べ残しが、自分たちの胃袋を満たしてくれることを知り、人間の食事をかぎつけると、その近所に姿を現して食べ残り等にありついたのです。そのうちに人間の方でも自分たちに付いてくる野生犬に慣れてきて、野生犬が近寄ってくることが、彼らにとっても役立つことに気がつくようになったのです。というのは、野生犬は、その鋭敏な諸感覚、特に鼻と耳で外敵の接近を素早く察知し、盛んに吠えたてます。原始人はこんな動作を見て、だんだんとこれを警戒の役にたてることを覚えたのです。

※古代ゲルマンの壺の上に描かれた犬を伴う鹿猟の図(ベルリン民族学博物館所蔵)

※古代ゲルマンの壺の上に描かれた犬を伴う鹿猟の図(ベルリン民族学博物館所蔵)

家庭犬の祖先は有史前の狼

野生犬と他の犬科に属する動物、すなわち狼、ジャッカルおよび太古の南米野生犬であって、他の動物は狐も含めて、頭蓋および解剖学的な特徴から見て、また、一部は生理学的見地からも、犬の祖先ではないかと見られています。
狼は第3紀層時代(約200万年前)の末期に出現し、非常に変わりやすく、また、環境の変化に順応する力をもっている動物であり、頭蓋の構造や体型は、同じ分布地域から出たものでさえも、他の動物には見られないほどいろいろな形態を示すに至っています。

野生犬の分類とシェパード犬の出現

スイス・ベルンの大学教授シュトゥーダー博士は、欧亜大陸の動物園における家犬の発生について詳細な研究を発表しました。それによると、4つの基本型が認められています。青銅犬、灰犬、イノストランツェヴィ・アヌチンおよびライネリー・シュトゥーダーです。そして、青銅犬と灰犬とは同じ祖先型を持ち、これはプチアチ(有史前カムピニエン紀遺跡跡から発掘された中型の狼ぐらいの野生犬)に帰し、ライネリーもまた同様ですが、これは発掘物もまれでやや疑問視されています。
さて、これらのうち最も重要な分類に従っているのもは、青銅犬から出たシェパード犬と称されるもので、これは、近遠東、バルカン、小アジア、そして、全ドイツを経てオランダ、ベルギー、フランス、イギリス、さらに、イタリアやスペインにまで分布して畜群を守り、住居地や財産を監守しつつ、いたるところでその土地に定着したのです。そしてその能力に富んだ作業犬体型の基礎は、人工的繁殖によることなく、自然にそなわっていったのですが、表現、稟性、精神的特性等は、環境と人為により、だんだんと野生犬らしさを失い、体型の改良と共に家犬性を増やしていきました。
17世紀の大戦後、欧米諸国の生活条件は逐次改良され、公安が維持され、盗賊や有害な野獣等が少なくなるにつれて、主として大型犬が畜群の監守に使われるようになりました。ところが人口の増加に伴い、土地を一層経済的に利用しなければならなくなり、耕作した土地を牧畜群に荒らされないように守る必要に迫られてきましたし、また、一方文化が向上するにつれて、牧畜もだんだんと進歩発達して分業となり、特に牧羊が盛んになってきたので、鈍重で運動性が少なくなり、しかも大食いで不経済な従来の大型牧畜犬に変わって、もっと軽快、敏捷で能力のある中型の犬が採用されるに至りましたが、これがシェパード犬と名づけられたのであって、元来青銅犬から出た土着の犬であったのです。

※古代のドイツ・シェパード犬

※古代のドイツ・シェパード犬

ドイツ・シェパード犬の誕生

一般的にシェパード犬というとは、欧亜大陸やアフリカ等、一部の各地に散在する各種の牧羊や牧畜に従事する犬種をいうので、その種類は60を越えると言われています。そして、これらのシェパード犬は、大部分土着の犬で、われわれがシェパード犬と言っている犬種も、ドイツの2、3の地方における土着のシェパード犬を計画的に交雑して固定し、改良した犬種なのです。ドイツでも19世紀の終わり頃までは、いろいろな犬種のクラブのような組織はありませんでしたが、主として外国、とくに英国産の犬等の団体は多く、ドイツ本国のシェパード犬に対しては、ほとんど関心がなかったようです。
また、シェパード犬の本来の繁殖者であり、かつて使役者であった当時の牧羊者たちは、展覧会等に犬を出そうなどという気は少しもなく、もっぱら牧羊勤務の目的に適するように、能力一辺倒の繁殖を行っていたのです。したがって、牧羊のさかんでない地方では、それはそれなりによかったのですが、盛んでない地方のシェパード犬の繁殖は、非常に閑却されてしまいました。そこで一部の有志によって、1880年代の末頃、フィラックスという協会が出来て、牧羊犬事業の促進をはかろうとしましたが、間もなく解散してしまいました。こんな状況で、当時シェパード犬が展覧会に出陳されることは非常に少なかったのです。 しかし、それでも少数ながら展覧会に現れたシェパード犬の特異な外貌、特にその優れた性能に魅力を感じて、これを飼ってみようとするファンがだんだん出てきたのです。かくして19世紀末の末期頃には、次第にその数を加えてきましたし、犬界ジャーナリズムもようやくこれに注目するようになりました。
そして、こんな情勢の下に、1899年の4月15日から17日までも3日間、バーデン州のカールスルーエ市において、全犬種の展覧会か開催されたのですが、このとき国内のシェパードが若干頭出陳されました。しかし、これらの犬はもとより、外貌はまだ非常にまちまちででした。でも、その稟性は数世紀にわたって能力本位に繁殖され、淘汰された結果として、それも揃って立派なシェパード犬ばかりでした。

とりわけその中にヘクトール・リンクスラインという犬がいて、後にこれがフォン・シュテファニッツ氏の手にわたり、ホーランドv・グラーフラートという名で、このとき誕生するドイツシェパード犬協会(SV)の犬籍登録簿の第1号を飾り、現代シェパード犬種の祖犬としての栄誉をになりうることになるのです。

※ホーランドV・グラーフラートSZ1

※ホーランドV・グラーフラートSZ1

このホーランドについては犬聖シュテファニツ翁は次のように述べている。
「ホーランドの出現は当時の愛好家にとって、夢想したことが成就されたことにもなったのであって、体高60cmから61cmは当時としては非常に大きいが、今日としても正に中位の大きさであった。骨組みは頑丈で、その線は流麗、頭部は高貴で、体型は乾燥してたくましく、全身これ神経そのものの様であった。之に相応して稟性も良く、主人に対しては驚くばかり忠実であった。しかし、他人に対しては注意深い性質で、その上制御し難い、はちきれんばかりの傍若無人な支配者的態度をとることもあった。」これは幼犬時代に適切な訓練を肥さなかったことに起因するが、本質的な欠陥ではなかった。